2002年11月23日 産経新聞

日本海からあがる潮風に、身をよじらせる木々がいた。
それでも雪が消え、芽が萌え始めた。
新曲はそんな、みちのくの遅い春に生まれた。
♪豊葦原の瑞穂の国 豊かに実る稲の恵み

「眠らせてずっと発酵させてきたような音と言葉が聞こえてきたんです。
何度も何度も体中に流れて・・・」


神主の実習で訪れた、青森・西津軽の高山稲荷神社。
御社殿への九十六段の階段で、境内で・・・。
今年四月、屏風山の一角にある小高い神域での出来事だった。
 一ヶ月後、神戸の実家。入浴していたときに本居宣長の言葉が聞こえてきた。
〜たなつもの(稲)・・・日の大神の恵み得てこそ いただきます・・・あさよいに・・・
神の恵みを思え世の人 ごちそうさま
 屏風山で生まれた歌に、この「宣長」の食前食後の感謝の言葉をつなげて、
新曲『豊葦原の瑞穂の国』が完成した。

 「大和言葉の美しさで、日本の素晴らしさを歌っています。
龍笛(横笛の一種)の音色がぴったりですね」


 夏。これまで作った約六十曲のうち、十一曲をCDにおさめた。
ファーストアルバム「うましあしかび(美しい葦の芽)」の誕生である。
『序章』に続く第二曲に『豊葦原の瑞穂の国』を入れた。
 この人(涼恵)と話していると、「神秘」を感じることがある。
「音楽」を身にはらんでいると
思える瞬間がある。満天の星の話しもそうだった。

 「うそじゃない、ほんとに星が舞ったんですよ。星の舞いです」

 西津軽で実習中、毎夜のように浜辺を走り、夜空を見上げたという。

 「キラキラ、キラキラ。うれしくなって私も踊ってしまいました」
                     □  ■  □
 海外と縁がある。生まれはブラジル・サンパウロ。
父の仕事の関係で二歳まで、そこにいた。
帰国後、父は神職につき神戸へ。小野八幡神社の宮司になった父を、
巫女として助けた。白衣に緋色のはかま。おはらいのために鈴を持った。
 カトリック系の高校を卒業し十八歳の師走、渡英。
映画『小さな恋のメロディ』(一九七〇年)のロケ地にもなった、
海峡に面したブライトンだ。

 「海がきれい。毎日、クレヨンと絵画帳を持って出かけました」

 一ヶ月の滞在中、ロンドンで「レ・ミゼラブル」を見た。涙が出た。
音に力があった。
そうしたアイルランドなどのケルト族の文化にも触れた。

 「キリスト教を受け入れる寛容さ、根っこには精霊信仰・・・。
自然が神様という精神風土は、神道に似てますね」


 英国から帰国、半年後の十九歳の夏、神職の資格を取得した。
新ミレニアム(二〇〇〇年)の二月、二十二歳で上京。
歌や舞台を勉強して、中国やタイの孤児院などで歌った。

 「文化の違いを知ることで、日本のよさも見えてくる。
私は夏、靖国神社に参ります。
自分にとって、それが自然なことだと思えるのです」


                     □  ■  □

 「生命」と向き合うことが多かった。平成七(一九九五)年一月の
阪神大震災では、同級生二人を亡くした。前夜、ふと空を見たら銀色の満月。
あたりは゛無言゛だった。

 「嵐の前の静けさだったのでしょうか。六千四百人もの命が消える・・・」

 昨年の9・11テロ。少女が空を見上げてる映像を見て、
体中から音楽が鳴りだした。
少女は、荒涼とした地に健気に咲く花のようだった。
生まれたのがCDの十一曲目に入ることになる『花の祈り』。

 ♪黒い雨 降った 黄色い花 咲いた 
こんなに小さな 生命でさえも 力強くて
こんなに微かな 光でさえも 心を照らす

 中学生の頃、いじめられて学校にいけなかったこともあった。
それもあって、かよわいものに、まなざしがいく。
 二十一日夜、記念ライブ(二十五日)のリハーサル。
赤いセーターの主役は時々牛乳で唇を濡らしながら、「舞台」を確かめた。

 「歌いたい一心で、ここまできました。
でも神様への御奉仕は続けます。私にとって、歌は祈り。
歌うことで手から手へ、神様と人間の仲執持になれればと思っています」


 家路を急ぐ自転車のハンドルには、紫色の花がそよいでいた。

 「見て下さい。すてきでしょ。ママちゃりじゃなくて花ちゃり・・・」
(平田篤州)
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